終戦(敗戦)記念日

今年も又8月15日がやってきました。

 自分は敗戦の年に国民学校へ入学したばかりで
地方小都市近郊(当時は郡部)の山麓に住んでいて
爆撃にもあってませんから、戦時中のつらかった
思い出というものは殆ど残っていません。

既に負けいくさが決まっていた終戦前日の夜から
15日の早朝にかけて、市西部の海岸沿いにあった
石油精製工場に対し米軍艦載機による波状爆撃があり
家からも西の空が真っ赤に燃えているのが見え
両親は市街地が爆撃されたのではないかと
心配したようです(自宅は市街地にあった)

敗戦後の思い出と言ったら
翌15日の午後、友達と学校の校庭へ行ってみたら
軍帽や軍服から毟り取られたと思われる階級章
(帽章や肩章)が山のように捨てられており
思わず拾って帰って親に叱られた事とか
いつもお腹が空いていて駐在さんに蛇の干物をご馳走になったとか
他所の庭の果樹(柿やあんず、いちじくとか)を黙って食べたとか
爆撃された海岸の砂浜で鉄くず(爆弾の破片)を拾って
屑屋にもっていき、買い食いした事とかしか覚えてません。
当時庭の果樹は地域の子供達の共有物だった?ような
気がしていますので、あんまり悪い事をしたとは思ってません。
さすがに孤児院の畑の芋を仲間で河原で焼いて食べた時だけは
翌日学校の先生にこっぴどく叱られました。。。(-.-)

昭和24~5年頃になると
駐留米軍の図書館の児童室に入り浸って、子供向けの
模型雑誌とかラジオ雑誌に掲載されたU-コン飛行機とか
ホットロッドカー、トランシーバーの記事等に胸を躍らせてました
(読めなかったけどね)
常連の子供10人位に、親切な司書のお姉さん(中尉さん)が
英語の歌とか簡単な会話を教えてくれましたが
今もってあんまりモノになってないのは何なんでしょうね(;^_^A


           ・


なんにしろ、もう戦争は結構です。
世の中いささかきなくさい臭いがしてますが
せめて、自分の命がある間だけでも
お国の指導者達が変な気を起こしませんように・・・って

こんな考え方って随分身勝手ですよね。。。(笑)  

 ドールブログにふさわしからぬ年寄りの妄言とお許しくだされ。
  












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